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彦根は江戸時代のターミナル駅!?彦根城の歴史が誰でもわかる!

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彦根城はなぜ有名なのか知っていますか?

姫路城のように白いわけでもないし、

松本城のように黒いわけでもない。

 

ひこにゃんのおかげ?

それもあるかもしれませんね笑

 

でも実は、彦根城はめっっっっっっちゃ貴重なお城なんです。

 

日本国内には約200の城がありますが(厳密に城跡などを入れるともっとあります。)そのほとんどが復元されたもので、江戸時代から現在まで天守閣がずっと保存されているお城は12基しかありません。(現存12天守といいます。)

そして、彦根城はその現存12天守の1つなのです。

だからすごく貴重なお城です。

 

そんな彦根城についてご紹介していきます。

 

 

 

交通の要衝・彦根

江戸時代に電車や車はないため、人々は徒歩や籠、馬に乗って移動するわけですが、そのためにも道はありました。

その中でも、彦根では重要な道が交差しており、この場所はいわば乗換駅のような役割を持っていました。

 

彦根には次のような交通手段が通っていました。

  1. 中山道(なかせんどう)・・・東京(当時は江戸)から長野や岐阜を通って京都へいたる道。
  2. 北国街道(ほっこくがいどう)・・・京阪神から琵琶湖の東側を通り、北陸や新潟までいたる道。
  3. 彦根港(ひこねこう)・・・琵琶湖の水運が利用されていた時代に栄えた港。

 

これらの道や港が集まる場所であり、まるでターミナル駅のようですね。

これだけでも彦根が非常に重要な都市であったことが分かると思います。

さらに、水陸両方の観点から、東と西を結ぶ地点としてもとても優秀でした。

このような場所であったため、武士たちもみんな彦根を自分のものにしたい!と思っていました。

そして、お城はそのような場所に立ちます。

 

 

井伊直継(いいなおつぐ)

江戸時代、近江彦根藩(当時の彦根市)は井伊家(いいけ)という家が治めていました。

井伊家がなぜこれほどの権力を持っていたのか。

それは、簡単に言うと戦で功績をあげて徳川家康に気に入られていたからです。

当時、天下を治めていた徳川家康から彦根を任せられていました。

彦根城は、関ヶ原の戦いの後、井伊直継の代になって完成しました。

 

 

井伊直弼(いいなおすけ)

この名前は聞いたことがあるという人も多いのではないでしょうか。

近江彦根藩の第15代藩主。

彼は大老という将軍の次に偉い役職に就きました。

また、日米修好通商条約を結んだことでも有名です。

 

そんな彼が青春時代を過ごしたのが彦根城のすぐそばにある家です。

埋木舎(うもれぎのや)と言われています。(今もあります。)

ここで和歌などを詠んで文学に励んでいたそうです。

 

 

彦根城天守

江戸時代から保存され、現在も中を見学することができます。

3階建てで、彦根市琵琶湖を展望することができます。

湖からの風がびゅうびゅう吹いていてなんだか迫力があります。

こんな城、なかなかないです。

 

反対側には山々が見えます。

ひときわ目立つポコッとした形の山が佐和山(さわやま)です。

そこにはかつて、佐和山城という城がありました。

この城には石田三成(いしだみつなり)が住んでいましたが、関ヶ原の戦いで負けたために追い出されてしまいました。

その後、そこに入ったのが井伊直政(いいなおまさ)です。

しかし、皆さんはいきなり地元の市長が変わったらどう思いますか?

なんか嫌ですよね。

だから井伊直政はそのまま城に入ることを辞めて、別の場所に城を立てることを考えます。

それが彦根城です。

 

佐和山城は残念ながら完全にまっさらな状態になってしまいましたが、一部の石垣などが彦根城に運ばれて使われています。

 

ちなみに、彦根城天守閣も大津城という別の城から移築したものだそうです。

リサイクル城ですね。

 

 

玄宮園(げんきゅうえん)

 彦根城の横にある庭園です。

お城の横にはよく庭園があります。(金沢城兼六園岡山城と後楽園など)

大名の趣味、あるいはステータスだったのでしょう。

 

玄宮園は4代目藩主の井伊直興(いいなおおき)が作りました。

めちゃめちゃ広いってわけではないですが、真ん中に大きな池があり広々としているように感じられます

現代で言えば、鏡張りの部屋にして広く見せるようなものでしょうか。

また、小さな橋がたくさんかけられているので、渡るのが楽しいです。

橋越しに彦根城を見上げると、インスタ映えもしますよ。

 

 

大隈重信のおかげ!?

 最初にも言いましたが、現存している天守閣は12基しかありません。

では、彦根城がなぜ現在まで残っているのか。

 

明治時代になると武士による支配は終わり、その象徴であったお城も邪魔もの扱いされるようになりました。

明治6年廃城令という「お城を廃棄しろ!」という指令が明治政府から出されました。

ここでほとんどのお城は取り壊されました。

しかし、当時の議員であった大隈重信(おおくましげのぶ)が、明治天皇彦根城の保存を申し出たと言われています。

その結果、特例で彦根城は保存が決まったそうです。

 

 

 アクセス・料金

JR 彦根駅からは徒歩で20分ほどかかります。

駅でレンタサイクルを借りて行くことをおすすめします。

二の丸駐車場の近くに無料の駐輪場があります。

 

料金は城と玄宮園合わせて800円です。

最初は少し高めだと思いましたが、十分に価値があります。

 

入場ゲートをくぐると最初に50段ほど階段がありますが、それを登ればすぐに天守です!

 琵琶湖ビューを楽しんで下さい!

 

 

 

 お読みいただきありがとうございました。