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阪急京都線沿線を楽しむ【隠れた名所から定番スポットまで】

阪急京都線は大阪のターミナル駅「大阪梅田駅」から「京都河原町駅」までを結ぶ路線です。

特急でも40分かかる非常に長い区間ですが、沿線の魅力もたっぷりです。

 今回は京都線沿線の観光地をご紹介します!

 

 

 

 

 

松尾大社

京都の一大観光地「嵐山」の一歩手前には松尾大社という有名な神社があります。

一般には「まつおたいしゃ」とも呼ばれますが、正式には「まつのお」と言うそうです。

この松尾大社飛鳥時代からの非常に古い歴史を持ちます。

そして、そこには秦氏(はたうじ)という氏族との深いかかわりがあるのです。

 

秦氏(はたうじ)

秦氏とは、5世紀ごろに朝鮮半島から日本に渡ってきた渡来人(とらいじん)の集団です。

秦氏と言いますから、一人の人物のことだと思ってしまいそうですがそうではなく、何千人もの規模の集団です。

主に山城国葛野郡太秦(やましろのくにかどのぐんうずまさ)、現在の京都西部に住んでいました。

太秦という地名は現在でも残っていますね。

この字は秦氏の「秦」に由来するものだと考えられます。

 

彼らは優れた土木技術や豊かな経済力を持っていたので、古代の日本の発展に大きく貢献しています。

例えば、桂川の氾濫を防ぐための堰を作ったり、長岡京平安京と言った都を作る際にも大いに活躍したとされています。

このように、秦氏は朝廷にも大きな力を及ぼしていました。

 

松尾大社に祀られている神様

松尾大社の裏側にある松尾山(まつおやま)の山頂付近に大きな岩があります。

この岩はあまりにも巨大であったから、秦氏が渡ってくるよりもずっと前から、地元の住民から信仰の対象とされてきました。

この巨大な岩には2つの神様が祀られています。

大山咋神(おおやまぐいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)です。

大山咋神は山の神様です。

市杵島姫命海上守護の神様です。

 

秦氏の中に秦忌寸都理(はたのいみきとり)という人がいました。

彼は701年に天皇からの命令を受けて、社殿を作り、そこにこれらの神様を岩から移してきたとされています。

この社殿が松尾大社です。

つまり、松尾大社のもとは松尾山にある岩であるということです。

松尾大社に行かれた際は、ぜひこの後ろにある山にも注目してみると良いと思います!

 

現在の社殿は室町時代(1397年)に修理されたものです。

 

お酒との関係

松尾大社はお酒の神様としても有名で、酒造家たちからは非常に人気があります。

しかし先に述べたように、松尾大社に祀られているのは山の神と海上守護の神です。

では一体なぜ?

 

実はこれは明らかになっていないのですが、秦氏が酒造を作る技術を持っていたからという説があります。

ここでも松尾大社秦氏は深いかかわりがあるということが分かります。

境内にはたくさんの酒樽が並んでいます。

 

 アクセス

阪急電車松尾大社駅」降りてすぐにあります。

「嵐山駅」の一つ手前の駅です。

 

 

 

 大山崎(おおやまざき)

大山崎戦国時代の合戦の舞台として非常に有名です。

また、その地形的な特徴から交通の要衝ともなっています。

豊富な地下水と湿潤な条件により、酒造りにも適しています。

 

唯一の通り道

大山崎は京都と大阪の境目に位置しています。

京都から流れてきた3つの大きな川が合流して、淀川になる地点でもあります。

この場所は東の男山と西の天王山に挟まれており、川の周囲の低地だけが京都ー大阪間の移動には欠かせない唯一の抜け道となっています。

そのため、大山崎にはJR、阪急電車、新幹線、京阪電車、高速道路が全て貫通しており、他に京都ー大阪間を結べるところがいかにないかということが見てとれると思います。

 

 天下分け目の天王山

 大山崎から西に見える山を天王山と言います。

この山では、天下分け目の戦いと呼ばれる「山崎の合戦」があったことで有名です。

 

本能寺の変はご存じでしょうか。

織田信長の家臣であった明智光秀(あけちみつひで)織田信長を暗殺したとされる出来事です。

このころ信長は天下統一を目指している最中で、その配下には豊臣秀吉もいました。

このことを聞きつけた秀吉は、光秀にかたき討ちをします。

それが山崎の戦いです。

この戦いは天王山の東側の麓で起こり、秀吉が勝ちます。

これを機に、秀吉の天下統一が始まります。

それゆえに天下分け目の天王山と言われるようになったのです。

 

秀吉はこの戦いで勝利した後、天王山の山頂に山崎城と言う城を立てました。

この城は現存はしていませんが、跡を見ることはできます。

 

離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)

国内には多くの八幡宮があり、離宮八幡宮もその内の一つです。

八幡宮のトップである宇佐八幡宮大分県にあります)から鎮守の神である八幡神を移してきたとされています。

平安時代に、僧の行教(ぎょうきょう)がこの山崎の地できれいな湧水が出ているのを見つけ、ここに移すことに決めたそうです。

 

当時は石清水八幡宮と呼ばれていました。

しかし、現在は離宮八幡宮と呼ばれています。

それは、この場所にもともと嵯峨天皇(さがてんのう)の離れた宮殿、離宮があったからだそうです。

現在石清水八幡宮と呼ばれる神社は別にあって、淀川をはさんで対岸にある男山の上にあります。

 

また、この神社は製油発祥の地であるそうで、境内や周辺の町では油と言う字を何度も目にしました。

エゴマの種子から油をとる長木(ながき)という道具がここで発明されたそうです。

 

アクセス

阪急「大山崎駅」から離宮八幡宮は徒歩5分です。

新しく舗装されたであろうきれいな道路を行くとすぐに出てきます。

 

 

 

 嵐山

 言わずと知れた観光地。

ザ・京都の雰囲気を味わうことができます。

 

渡月橋

先程も言いましたが、秦氏が架けた橋です。

もともとは橋の南側にある法輪寺(ほうりんじ)に渡るために架けられたもので、かつては「法輪寺橋」と呼ばれていました。

この橋は平安時代に作られてから何度も壊れて作り直されています。

現在の橋は木造に見えますが、実は鉄筋コンクリートでできているそうです。

 

下を流れる川は桂川(かつらがわ)です。

この川は渡月橋の上流側と下流側で名前が変わります。(同じ一本の川ですが)

上流側では保津川(ほづがわ)、下流側では桂川となります。

また、橋から上流側に目をやると、堰(せき)が見えます。

800年ごろ秦氏桂川の洪水を防ぐために、葛野大堰(かどのおおい)という堰を作りました。

現在の堰は昭和に作られたものですが、平安時代からこのようなものが存在していたというわけです。

このことから、この周辺の桂川大堰川(おおいがわ)とも呼ばれます。

 

渡月橋はなぜ人気なのでしょうか。

私は渡月橋を囲む全体が美しいからだと思います。

渡月橋桂川の北側の盆地と川の内部にある中之島(なかのしま)という島を結んでいます。

桂川があり、そこには中之島が浮かんでいて渡月橋が架かっている。

また、周りは高い建物がなく、遠くの比叡山脈や小倉山を山裾まで見渡すことができる。

この庭園の中に入り込んだような感覚が、人々を魅了し続ける理由だと思います。

 

 アクセス

 阪急「嵐山駅」下車すぐです。

嵐山駅は京都線の支線である嵐山線の終点になります。

京都線からは途中の「桂駅」で乗り換えて3駅です。

 

 

 

 最後に

2020年10月 現在、阪急電車からは京都を含む乗り放題きっぷがいくつか発売されています。

京都への旅、途中下車をいっぱいしたいなら、これらを使うのが良いでしょう。

これについては別記事でご紹介するので、ぜひ!